675 件の資料が見つかりました。
-
広報ひのかげ 第30号 1967年8月発行 広報ひのかげ
第30号
1967年8月発行人のうごき42.8.1地すべりで埋った向山林道開設事業(追加)二、八四二千円。△西日之影地区外河川事業三億円近くにふくれる一般会計の予算額(追加)七九四千円。△土木災害復旧事業(追加)九八〇千円。△その他一、七九六千円。...
-
広報ひのかげ 第31号 1967年9月発行 広報ひのかげ
第31号
1967年9月発行災対策を検討しようということで、町内では山(崖)くずれ、地すべりや河川のはんらんで危険箇所となっている鶴の平、長谷川入口、日之影(上、東、西)新日之影上、神影の現地を見たあと、現地に合った防災対策の検討会が行なわれたが、...
-
広報ひのかげ 第32号 1967年10月発行 広報ひのかげ
第32号
1967年10月発行査が進められていますが、ことしはじめて星山の中では安全なところで焚火し、そのあとは完全に火を消し、安全を確かめて帰えりましよう。o火災警報が発令されている火災を未然防にごう!...
-
広報ひのかげ 第33号 1967年12月発行 広報ひのかげ
第33号
1967年12月発行5mの6コース)国鉄高千穂線略図左端天狗山が崩れ落ち、あやうく命拾いをしたこともあったということです。雨の日も風の日もえいえいと道路を護りちづけて、その職務に精励されたことが報いられ、こんど晴れの叙勲となったものです。甲...
-
広報ひのかげ 第34号 1968年1月発行 広報ひのかげ
第34号
1968年1月発行い、といわれています。かかる状況の下で、山に依存しなければならない本町としては、不足勝ちな労働力の確保、小規模耕地を加味した農業経営の在り方など、幾多の大きな課題をひかえている、といえましよう。また、本年中には、延岡高千...
-
広報ひのかげ 第35号 1968年3月発行 広報ひのかげ
第35号
1968年3月発行、第一ルエ事(四四〇m)と八・九谷〜大平山三二一五また、五、六月にはトンネは、第四工区(深角予定です。国鉄高千穂線の工事41年から始まったこ事と(し六の一7m月)中を旬行につてはおでりき、る国鉄高千穂線近く第一トンネルも...
-
広報ひのかげ 第36号 1968年5月発行 広報ひのかげ
第36号
1968年5月発行田勝甲斐岩美興梠健一坂本義武(課長兼務)山本典子佐藤定佐藤積岩田昌洋大里徹河内梅隆小石美男高尾学佐藤不二男平田フタミ岩本二三男甲斐勝己松本昌士甲斐国夫梅田誠串間重仁工藤亀喜河合保紀一水孝徳平田幾生甲斐忠治飯干功菅原幹代甲...
-
広報ひのかげ 第39号 1968年6月発行 広報ひのかげ
第39号
1968年6月発行食卓になります。激しい労働をしますと、沢山な熱量(カロリー)が必要なことはご存知でしょう。その熱量をなんで補給しているのでしょう。ご飯だけに頼りすぎてはいませんか?工夫した食事で農繁期の健康は・聴・嗅・味・触)を通じて心...
-
広報ひのかげ 第40号 1968年7月発行 広報ひのかげ
第40号
1968年7月発行この中で、勤労所得が後退したのは、槇峰鉱山によりさらに後退するものと思われます。町民一人当りの所得は、一四万五千円となり、40年より一二・八パーセントの伸びとなりました。宮崎県平均の所得が、一九万五千円ですから日之影町民...
-
広報ひのかげ 第41号 1968年8月発行 広報ひのかげ
第41号
1968年8月発行。菊池君のお父さんの力さんは、現在槇峰鉱山から、兵庫県に転勤されたのですが、軽い高血圧で病床に臥しておられ、お母さんがその看病に行っておられます。今お姉さんと二人暮しですが、その苦境にもめげず、毎日勉強に、野球に、懸命の...
-
広報ひのかげ 第42号 1968年9月発行 広報ひのかげ
第42号
1968年9月発行牛が育ちますから、二瓏の成果が上ります。山を幾重にも生かす道を、考えていく必要がありますが、諸和久和牛改良組合の成果を、広く町内に取り入れていきたいものです。西臼杵郡内の精鋭を集めて。八月二十五日、高干穂中学校グラウンド...
-
広報ひのかげ 第43号 1968年10月発行 広報ひのかげ
第43号
1968年10月発行た青空の下で、右手に丹助岳を眺め諸塚の連山をはるかに望む、平底・崎の原の丘陵は、いま薄緑色のイガを付けた栗で覆れています。この豊作の栗園の中で九月十九日午後二時から第三回の栗まつりが、関係者を集めて開催されました。この栗...