652 件の資料が見つかりました。
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広報ひのかげ 第44号 1968年11月発行 広報ひのかげ
第44号
1968年11月発行ないのではあるまいか。現在の日之影町域の山間僻地に住いをたて、野を開き、道をつけ、水を通し、学校その他の公共施設を整えて、社会を造ってくれた先人のおかげがあってこそ、私達の現在はある。そこには、汲めども尽きぬ感謝があり、...
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広報ひのかげ 第45号 1968年12月発行 広報ひのかげ
第45号
1968年12月発行ど、貴重なものが展示されました。9、振興山林が開発され、陽の目を見ることになりました。3、日本体操祭宮崎県大会開催(五月十九日)文部省、NHK、日本体操協会などの主催による、日本体操祭宮崎県大会が今年は、八戸中学校で開か...
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広報ひのかげ 第46号 1969年1月発行 広報ひのかげ
第46号
1969年1月発行の改良舗装、県道の公共獲得、病院の改築、山積しています。その解決を図ることは、直接町政を担当するわれわれに課せられた責務であり、国および県の施策と相まって、町財政の範囲内において、最大の効果をあげるべく努力する覚悟であり...
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広報ひのかげ 第47号 1969年2月発行 広報ひのかげ
第47号
1969年2月発行ないような問題をかかえ苦しんでいる人が沢山あります。そのような人達に、親身になって、相談に応じて上げ、円満々解決を見出していくようお世話するのが「心配ごと相談員」です。日之影町では、追川下の甲斐定一さんにおねがいして、心...
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広報ひのかげ 第48号 1969年3月発行 広報ひのかげ
第48号
1969年3月発行た農協○私たちの生活時間の使い方小石秀子山久芳佐保博宣興梠実河野緑O農業部会(長)押方敏郎甲斐繁夫後藤京士谷川沢美平川恒工藤米光O商工部会(長)高見万梅戸勝恵齊藤数栄興梠準祐滝本ヤエ転落した車交通戦争益々激化事故発生率は...
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広報ひのかげ 第49号 1969年4月発行 広報ひのかげ
第49号
1969年4月発行計画されている主な事業は、一般会計では、山増男君渡米農業武者修行日本語の話せない米人宣教師が日之影町にきております。この米人は、ノーマン・ハナワルトさん(三五)で、ノーマンさんは三月上旬、ひょっこり日之影町の旅館を訪づれ...
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広報ひのかげ 第50号 1969年6月発行 広報ひのかげ
第50号
1969年6月発行事に選らばれました。平川恒坂本照夫高橋章山附、小川平地区の発展に努力するなど地方自治に貢献した功績。脇坂与四郎さん(七五)は昭和九年から三十年まで二十一年間議会運営に尽力し、特に辺地の開発に努め、電気ののシンボルである組...
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広報ひのかげ 第51号 1969年7月発行 広報ひのかげ
第51号
1969年7月発行の年か?心配される災害なんでもしてみよう山日之影線の、日之影中学校上で、地すべり崩壊を起してから満二ヶ年になりますが、それ以外には台風等による大きな災害はなく安心していましたが、今年は油断のならない年になりそうです。いま...
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広報ひのかげ 第52号 1969年8月発行 広報ひのかげ
第52号
1969年8月発行近の消防団員の充足状況をみてみますと、農山村では過疎化現象に伴い、若い団員の確保が困難になりつつあります。幸い日之影町では、今年は五十八名の新入団員があり、この消防学校で訓練を受けましたが、今後の団員減少に備え、広域消防...
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広報ひのかげ 第53号 1969年9月発行 広報ひのかげ
第53号
1969年9月発行二〇912(追川)一八七・〇〇1011(山附)一八四・五〇1116(椎谷)一八二・〇〇1215(松の木)一八二・〇〇1314(深角)一八一・八五143(大川平)一七七・一〇152(四ヶ惣)一七六・七五1617(仲組)一七...
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広報ひのかげ 第54号 1969年10月発行 広報ひのかげ
第54号
1969年10月発行くりひろげられています。日之影町のような山村でも交通事故からのがれることはできません。交通事故は自動車だけでなく、人身に及ぼした場合、その事後処理は被害者も加害者も、その家族も全く悲惨です交通事故のほとんどは、適当なスピ...
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広報ひのかげ 第55号 1969年11月発行 広報ひのかげ
第55号
1969年11月発行る一ヶ月の重傷を負った。○雑草の生い茂る山林が少ないため、椎茸の原木がなくなる時までに杉などの幼木林を購入することだそうです。したがって椎茸栽培から造林へと農業経営も変化するものと思われます。銃の取扱いに注意猟狩解禁みご...