48 件の資料が見つかりました。
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広報ひのかげ 第96号 1973年4月発行 広報ひのかげ
第96号
1973年4月発行そこで今迄調べた結果、文字として古いのは分城の興地の部落で文安年号の塚が見つかっております。この塚を興地の部落の人は「金掘塚」と言い伝えています。金堀と云うのが鉱山師を意味するか、又金掘と言う人の性を意味するか、或は埋葬...
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広報ひのかげ 第107号 1974年3月発行 広報ひのかげ
第107号
1974年3月発行斐大内蔵、甲斐讃岐、岩井川の城尾団兵衛、分城の河野玄蕃亟の名前が判っております。寄手の大将水清谷四郎三郎は二千騎を二手に分け、八百騎を上小原に待機させ、残りの千二百騎を宗雪の居城中崎城攻めに○使用したあと電源スイッチの切...
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広報ひのかげ 第136号 1976年9月発行 広報ひのかげ
第136号
1976年9月発行役員の中の一人であろうと思われます。大字分城大山の大村徳夫さん宅には、徳川時代末期の古文書が何通か残っていますが、その中に幕末の召集令状があり、大変めずらしがられています。それには次のように書いてあります。百十三年前の召...
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広報ひのかげ 第144号 1977年5月発行 広報ひのかげ
第144号
1977年5月発行のである。この区長命令で、七折、岩井川、分城の各村から農兵を募集して、更に兵力を強化した。そ(その2)薩軍の日之影布陣ふるさとの民話...
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広報ひのかげ 第149号 1977年10月発行 広報ひのかげ
第149号
1977年10月発行時迄もここで防げないので、薩軍は後退して分城に入り、肥後壮之助隊は田吹、星山を経て、大山から北方村の荒平迄後退し、又一隊は大山久保から、諸塚境の九左衛門峠の方へ後退しました。官軍は小崎を占領したものの、日暮れて進むことが...
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広報ひのかげ 第158号 1978年7月発行 広報ひのかげ
第158号
1978年7月発行たが、延岡藩の殿様が眼をわずらわれた時「分城の植木尾(もんぎゅう)という所に、巣山神社という小さなお宮があります。廻りは木立の深い山で、今も杉や桧、樟の木等がありますが、昔は、お宮の周りは何百年も経った大木でおゝわれ、昼...
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広報ひのかげ 第160号 1978年9月発行 広報ひのかげ
第160号
1978年9月発行諸塚村を結ぶ道路が開通しました。これは、分城椎木尾と諸塚村の川の口に通じるもので、昭和四十七年から六年間をかけ、各種作業路の延長、新設によって完成したものです。この日は県、町村職員、地元民など。諸塚村側から十五名、日之影...
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広報ひのかげ 第166号 1979年3月発行 広報ひのかげ
第166号
1979年3月発行のあいさつを緊張のおももちで受けたのち、分城二又のしいたけほた場にしいたけ狩りに行きました。日之影町内で林業を営む青年で編成している林研グループ(古城隆夫会長六十八名)では、町の女性に林業を理解してもらい出来ればお嫁さん...
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広報ひのかげ 第184号 1980年9月発行 広報ひのかげ
第184号
1980年9月発行郷(タカチュウ)をなしていた。十八ヶ村は分城・岩井川・七折・三田井・岩戸・山裏・向山・押方・下野・上野・田原・河内・五ヶ所・桑之内三ヶ所・鞍岡・家代・七ツ山である。近来弥生稲作研究会の研究で二千年程前に海水面の上昇によっ...
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広報ひのかげ 第195号 1981年8月発行 広報ひのかげ
第195号
1981年8月発行井川後梅河野緑大字七折東深角甲斐重利大字分城二又佐藤里志大字見立煤市佐保満男新農業委員が決まりました九大仏教青年診療部員四十八名は、今年も七月二十七日から三十一日まで五日間。鹿川集落を皮切りに五集落で二百八十五人の診療を...
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広報ひのかげ 第210号 1982年10月発行 広報ひのかげ
第210号
1982年10月発行ます。一、日時10月25日(月)岩井川・分城9時30分〜12時まで七折・見立13時〜15時30分まで二、場所中央研修館三、持参品印かん、写真、登録料、銃砲所持許可証四、登録料(共済費・入猟税等含む)甲種A一万七千七百円B...
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広報ひのかげ 第225号 1984年1月発行 広報ひのかげ
第225号
1984年1月発行をお願いします。閲覧対象地区日之影町大字分城字(竹の平・大山・高松の一部・田下の一部・星山の一部・河内)一、期間昭和五十九年一月十七日〜昭和五十九年二月五日まで(二十日間)二、閲覧時間午前九時〜午後五時まで三、閲覧場所役...